妊婦のきもち
 
初めての妊娠は大変な事だらけでしたが、今となっては懐かしい思い出ばかりです。
これから何人子供ができても、もう二度とあの頃と同じ気持ちは味わえません。
あの頃の記憶を忘れずに残しておきたいと思い、このページを作りました。
現在つわりで大変な妊婦さんも、不安な妊婦さんも、これを見て元気を出してもらえると嬉しいです。
   妊娠発覚!!

結婚して4年、そろそろ子供が欲しいな〜って夫婦で話し合ったけど、これがいざとなると全然できなくて超焦る。欲しくない時は気にもならなかったのに、欲しいのにできないと周りに置いてけぼりくらったようで、とにかく焦って泣いてストレスになったりして。そのうち疲れてきて、考えるのをやめようと思った。そんな時に東京に転勤になり忙しくて気が紛れて本当に助かった。

東京は楽しくて、遊びまくり仕事しまくりでこのまま二人の生活もいいなーって思い始める。そのうち、仕事中に何度か気持ち悪くなって吐く。ちょうど同僚が胃腸炎の風邪をこじらせていたので、うつったと思い込んで胃薬を飲む。

とにかく毎日眠い。仕事の疲れかと思い(それもあった)、休日は死んだように寝る。体はだるいし、たまに吐くし、眠い。それでも何も気が付かなくて、普通に会社に行って残業して、ダンナ様とバイクでデートする。友達と遊園地で遊んだりもした。友達が泊まりに来たのにあまにの眠さに、友達をおいて9時にダウン。漫画を渡して「ごめん、私は寝るから暇だったらこれ読んで」とものすごく失礼な対応をしてしまったくらい眠かった。

札幌に帰省する日が迫っているのに、調子がいまいち良くならない。「えーと、あと何日で帰省だったかな?」とカレンダーを見つめて気が付いた。あ!3日遅れてる…。うーん、うーん、心当たりも無くはない。でも今まで何十回も妊娠判定で陰性が出る度に辛かった。来月まで様子をみても遅くない?と思ったけれども、何だか居ても立ってもいられなくなり、翌日に出勤途中に立ち寄った店で検査してみる。

な、な、なんとピンクの線が!!間違いなく「陽性」。生まれて初めての「陽性」。(そりゃそーだ)
体がわなわなと震える感覚って初めて味わった。急いでダンナ様に電話で伝える。ダンナ様も驚いて「えー?!どうするー?!どうするー?!」ってそればっかり。「どうするって、産むしかないじゃん」って強がったけど、それから会社までどうやって歩いたか、どうやって仕事したか全然覚えてない。かなり動揺していた一日。
家に帰るとダンナ様から花束のプレゼント。すごく嬉しくて今でも忘れられない。(でもあれが最初で最後のようだ。ケチ!) とりあえず落ち着いてから職場に報告して、みんなにも報告しようと話し合った。それから3日後、荒波のように押し寄せる吐き気に耐えられなくなり、とうとう社長に打ち明けて遅刻&早退しまくった。「そういえばよく気持ち悪いって言っていたよね」とみんなおかしいと思っていたらしい。クビも肩たたきもまぬがれただけに頑張ろうと思ったけれども、とうとう朝まで吐き続けて一歩も動けなくなり救急病院へ。そして長い長い、怒涛のつわり入院生活がスタートした…。

 

   地獄のつわり生活(妊娠初期)/入院編。

つわりってドラマによると「う‥!」とトイレに駆け込んで、その後はスッキリしているだと思っていた。一日中吐き気がして、吐いても吐き気するなんて思ってもみなかった。何を食べても受け付けなくて、食べないから胃が痛くて余計にムカムカして、胃液ばっかり吐きつづける。だんだん吐きすぎて頭が痛くなってきて、めまいもした。1日に20回以上吐いて、トイレで生活したいと涙した。知らないとは怖いもので、つわりってこういうものだと思い込んでいた。みんなそうなんだ、みんな我慢してるんだ!って勝手に思い込んで、ひたすら耐える日々。本によると「水も飲めなくなったら病院へ」と書いてあるので、ついに夜中に断念して救急病院へ。

なんせ徒歩3分で超近所に救急病院があるので、一人でいってきまーす状態。この時点ではまだ、注射か点滴してもらえばすぐに良くなると信じていた。救急なのに待たされまくって、ソファでゲロゲロになりながら待つこと20分。やっと寝起きみたいな当直の医者がやってきてすぐに尿検査。内診されて「赤ちゃんは問題ないけど、ケトンが+++だからすぐに入院するように」と言われてええ!!って感じ。「色々説明があるから、ご主人は?」って聞かれて「家ですけど」って答えたら「どうやってきたの?」って。「近いので歩いて」と返事するとめっちゃ怒られた。かなりやばい状態で、すでにつわりではなくて「重症悪阻」になっていて、ひどくなると意識がなくなるとか、植物状態になる人もいるとか色々言われて、なのになんで一人で来るんだ!ってめちゃくちゃ怒られた。
この時点で私は大きな間違いを。入院すればすぐにつわりは治まるものだと信じて疑わなかったのです。だって良くなる為に入院するんでしょう??あーこれが大きな間違いだった…。

生まれてはじめての入院生活。6人部屋なのに挨拶もする暇なく手続きして24時間点滴生活。
これが思ったよりとにかく精神的に応えた。一人で寂しくて不安で更に気持ち悪くなるばかり。点滴のせいで頻尿がひどくておまけにトイレに行くと吐いて、10分おきに1日中トイレの往復。
持病の不眠症もますます悪化して、結局5日間一度もまともに寝ずに、朝から晩まで病院を徘徊して過ごした。6人部屋の5人は、双子の管理入院と二人目の早産入院で割とドンと構えていた。ピリピリ神経質にしてたのは私だけ。みんなにも迷惑かかりそうなので、個室にうつって少しは気分的にマシになったものの、そういう時に限ってダンナ様が出張でお見舞いに来れない日もあって最悪だった。ちょうど東京に転勤してきたばかりでお見舞いに来てくれる友達なんて一人も居ない。病院内はパソコンも禁止で誰かに電話しようにも気持ち悪くて話せない。一人で病院にいると気が狂いそうになって吐きながら泣いてばかりいた。

このまま入院していても良くならないし、悪化するだけだと思って、泣きながら退院させてくれと毎日毎日医者に頼み込んだ。医者は当たり前だけど「入院したからといって確かに良くはならないけど、退院できる状態ではない」と反対した。でも一睡もできずにあまりにも日に日に衰弱してく私を見て「しょうがない」と最後は退院許可を出してくれた。退院する日は嬉しくて嬉しくて気のせいかつわりが軽くなった気がした。でも家まで3分、荷物を持って一人で退院した時はあまりにも長い道のりに感じて驚いた。

 

   地獄のつわり生活(妊娠初期)/自宅療養編。

退院したものの、仕事に復帰できる状態でもなく、案の定家で寝てるだけの日々。嗅覚が犬の1000倍くらい敏感になっているんじゃないかと思うくらい、何でも臭かった。玄関が臭い!冷蔵庫が臭い!トイレが臭い!外が臭い!ダンナ様も‥ちょっぴり臭かった。毎日毎日、暗い顔して寝てるだけ、口開けば「臭い」だの「気持ち悪い」だの、起きたと思ったらトイレ行って吐くだけ。私もうんざりだったけど、ダンナ様もうんざり。最初の頃は何時間もかかってご飯支度をしてたけど、それすらもできない。でも病院へも戻りたくない。何時になったら終わるんだろう?毎朝毎朝、目が覚めるたびに絶望した。こんなに辛い思いするなら、子供なんて諦めてもいいって思った事が何度もあった。病院で医者から実際に辛くておろす人が何人もいるって聞いて涙が出た。たぶん、後にも先にも、あんなに辛い思いをしたのは一生無いと思う。そんな中でも赤ちゃんだけはどんどん元気に大きくなっていった。それだけが唯一の救いだった反面、自分のすべてを吸い取って大きくなっていく謎の物体が正直ちょっと怖くなったりもした。子供ができれば母性もできると思っていたけど、この時点では全く母性の欠片もなし。ただひたすら、つわりが終わることだけを願う自分本位の日々。

ダンナ様のお母さんが見るに見かねて飛んできてくれた。野菜やら、果物やら、大きな荷物を持って坂を登ってえんやこらと、札幌からはるばる東京まで。1週間泊り込みで家事から私の世話まですべて面倒を見て下さって、たくさん話し相手にもなってもらった。結局、お義母さんはつわり中に2度も泊り込みで来てくれた。 不思議とお義母さんが居てくれる間は、吐きながらも少しはご飯も食べられて、起き上がる事もできた。笑う事もできたし毎日すごく安心で、やっぱりつわりは気の持ちようなのかなぁ‥?とも思ったりもした。その間、お義父さんもお義兄さんも、お義母さん無しで慣れない自炊をして通勤して毎日頑張ってくれた。この時のことは一生忘れない。何があっても、家族が倒れた時には私が飛んでいこうと決意した。

天井を見つめてトイレとの往復の日々。出口の見えないトンネルに入ったようで、この先にどんな幸せがあるのかなんて想像もできず。吐き過ぎて血を吐いたり、喉も胃も焼けただれたように痛くて熱い。こんなに瀕死なのに病気じゃないんだなぁ…と不思議に思った。 テレビって食べ物のCMが多かったのかと初めて気が付く。テレビを見てもパソコンを見ても吐き気が倍増し、音楽もイライラ、雑誌も食べ物のページをみるとムカムカして、結局朝から晩まで何も見ず、何も聞かず、ただただ死んだように時が過ぎるのを待つだけという何とも恐ろしい日々。

 

   引き続きつわりの毎日(妊娠中期)/通勤復活編。

この頃から漢方を飲み始める。病院に頼み込んでツムラの「ショウハンゲカブクリョウトウ」を処方してもらう。あまりの苦さに更に吐き気倍増!飲むたびに吐いて、飲んだのか飲んでないのかイマイチ分からない感じ。でも何も飲まない頃よりはマシになった気分。ダンナ様の両親が見るに見かねて、漢方薬局に相談に行ってくれた。「ワタナベオイスター牡蠣エキス」という糖衣状の漢方を飲み始める。これは体にすごく合っていて、みるみるつわりも軽くなっていった!!今でも牡蠣エキスと、産後は「シイタケ菌糸 ズイシ」漢方が欠かせないくらい!

結局まるまる2ヶ月間、布団を引きっぱなしでいわゆる寝込んだ状態で過ごした。布団にも体にもキノコ生えそう…。すっかり秋になった頃、毎日少しずつ食べられるものが増えてきて起き上がれるようになる。いい加減仕事も休めないので、そろそろ復帰にかかる事にした。とはいえ、まだまだつわり中の身。この頃の通勤がこれまた地獄のようだった。
山手線にうじゃうじゃいる酔っ払いとタバコと整髪剤の匂いをプンプンさせるおじさん達。香水がキツイOL達。優先席を陣取る若者達。タオルにミントのアロマ液を含ませて、ずっと口を押さえながら何度も途中下車して通勤。妊娠前は片道1時間かかった通勤時間が、つわり中は1時間半になり、妊娠後期にはついに2時間かかってしまった!!


この頃は食べつわりに移行し始めて、だんだんと空腹にも吐き気を催すように。常に何か食べていないと気持ち悪いため、果物やらサラダやらお菓子やらタッパーにつめて机に常備。職場は男所帯で女性でしかも妊婦は過去にも存在せず、私一人。バリバリモシャモシャ常に食べながらパソコンに向かってる姿は、かなりヒンシュクだったに違いない…。

復帰したものの、 仕事の量が半端じゃなかった。新しいプロジェクトが始まるから担当してくれと言われ、妊婦のやることか?!と思うようなスケジュールで持ち帰りで徹夜もザラ…。社長も同僚も先輩も男性なので「治ったからもう大丈夫なんでしょう?」とサラリと言われる。自分も知らなかった世界だけど、まだまだ社会への認知が低いと実感。とはいえ、突然妊娠して突然休暇を取ったのにもかかわらず、みんな代わりに引き受けてくれて、席も確保してくれて。辞める最後の日まで、この恩だけは返さなければと必死になる。

電車に乗ると胎動を感じるように。山手線が大好きなようで、私鉄では動かず。山手線のアナウンスがかかるとバタバタドンドンと蹴るようになった。お腹も少しずつ出始めて、だんだんと妊婦の自覚とほんのちょっとの母性が…。結局、つわりは6ヶ月の終わりまで毎日続く。その間、少しずつ毎日食べられるものが増えていき、ある朝気が付けばつわり生活とおさらば!!ただし、ラム肉など当時ダメだったものは、精神的に今でもダメ。

毎日何かしら食べたい物が浮かんできて、ソレが浮かぶと手元にないとどーにもこーにも落ち着かず、ソレを求めてさまよう日々だった。ソレは毎日変わり、インスタントラーメンだったりスナック菓子だったりなぜかジャンクフードに偏っていて、気持ちを抑えるのに必死。つわりの寝たきり日々の反動か、外食やら外泊やら休日は飛び回って夫婦で遊びまくった。「子供が生まれたらこんな事できないもんねぇ」と言い訳に、とにかくあちこち出歩いて遊んだ。実際は子供が生まれてもあちこち連れ歩いて遊んでいる毎日…?!

7ヶ月頃、検診で性別が判明。つわりが重いのは女の子の証拠、とその日まで毎日女の子だと信じて疑わず「桃花ちゃん」なんて名前まで決めて話し掛けていた。「先生、どっちですか?」と聞くと「あー、ついてるね」って即答。えーーー!!と思って「女の子じゃないんですか??」と聞き返すが、何度みても男の子だとのこと。男の子は大変だと聞いていたから女の子が欲しかっただけにちょっとショック。彼は「ふーん」と言いながら嬉しそうだった。

 

   相撲取り気分のワーキング妊婦(妊娠後期)

後期にもなると、腹がせり出して大変なことに。毎日スイカかボーリングの球をぶら下げて歩いている気分。この頃は胃まで子供が成長してきて、胸焼けするわ胃がパンパンで食べられないわで、第二のつわり状態。思えば、つわりが終わって気分爽快だったのは1ヵ月半あったかどうか…。匂いは相変わらず敏感で、山手線の中はストレスの嵐だった。

前まではあんなに妊婦を強調して「席を譲って欲しい」オーラが満々だったのに、この頃になると「私は妊婦なんだから席譲りなさいよ!!」とせ
り出した腹で乗客全員に迫っている気がして気が引けた。どこに立っても注目を浴びるので、乗車するとすぐにドア付近に隠れて立つ事にした。そのほうが角が立たないし注目を浴びなくてホっとした。 それでもお尻隠して腹隠さず状態でたまにバレちゃうこともあり、よく外国人は「スワッテクダサーイ」と譲ってくれた。日本人にはない爽やかさだ!今にして思えば、妊娠後期よりも乳児幼児を抱っこしてる方が席を譲って欲しいものだ。どうも乳児幼児を抱っこしていても「重い」と分からないらしく「かわいいわね〜」と座ったまま声をかけてくれる人が多い。かわいいより重いのが本音なのだが。

お腹の中では男の子らしい力強い蹴りで毎日ゲシゲシと蹴られて痛いわ苦しいわ眠れないわ。 お肉が増えると足が横にしか動かないらしく、真横にえっちらおっちら、ハフハフ言いながら歩いていた。マタニティ着て書類もって歩いてる姿は何ともアンバランス。この頃になるとよくお腹が張り、検診では赤ちゃんが何度か下に下がってると言われて薬を飲むようになって心配になる。赤ちゃんは検診のたびに2週間〜1ヶ月程度、平均より大きいから予定日が早まるかもなんて言われていよいよ出産が近いことを実感。あと1ヵ月半退職まで残っていたけど東京で一人で生む訳にもいかず、里帰りを早める事に決定する。半月働いて残り1ヶ月は在宅で続けて欲しいとのこと。

8ヶ月の腹デカ妊婦の時にこれが最後だと思って、彼と二人で栃木に旅行に。赤ちゃんが膀胱を圧迫するから超×100頻尿になって、首都高速はトイレがないから真っ青。なるべく飲み物飲まないようにしてひたすら何も考えないように逃げ切る。しかも高速のパーキングに車内泊までしちゃって、外は雨なのに何度もトイレに行くはめに。いや〜よく途中で生まれなかったなぁと今更ながらドキドキ旅行。

子供用品を買出しに行くが、何が必要なのか何が何なのかさっぱり分からん。仕方ないので、雑誌などのメモを見ながら書かれてある通りに全部買う。買ったものの使い方もよく分からないし、使う日がくる実感も湧かないし、新生児服って小さいなーなんて思う程度。とりあえず全部洗濯してウキウキする。今でも赤ちゃん本舗でメモを見ながら大きいお腹でウロウロしている夫婦を見ると思い出して「頑張れ!」ってアドバイスしたくなる。

 

   臨月のキモチ。

とうとう赤ちゃんが降りてきたので札幌に慌てて帰省することに。これから起こるであろう出産という大事件と、彼と離れて暮らす日々、赤ちゃんが生まれてからの日々、ありとあらゆる不安が一気に押し寄せてあっという間に今ごろ突然のマタニティブルーに。パソコンまで持ち込んで、ビデオ電話まで付けて、いつでも彼の顔を見て話せるようにしてもらってるのに一体どうしたものか。毎日とにかく腹が重い、息苦しい、夜眠れない、腰が痛い、トイレが近い。心身共にギリギリになってもう一日も早く生み終えたい気持ちでいっぱいに。
赤ちゃんが生まれる幸せというより、出産の恐怖、体調の限界、今後の不安でもうかなりパニック状態の毎日。今日来るかもしれない、明日来るかもしれないXデー。顔も見たことないお腹から出てくる生物。あぁ、まったくもう…母性とは何ぞや?

5月7日、妊娠36週目。夜中にお腹が痛くなって何度も目が覚める。「陣痛か?!」と眠れない。(今思えば全然違った…これは前駆陣痛ってやつです。)トイレがいつもより近くて、夜中20分に1回起きてほとんど眠れない。

5月8日、いつにもまして落ち着かずドキドキした一日。相変わらずトイレは近いしお腹は張るし、妙に嫌な気分。 何となくレンタルで借りたビデオを「今返さないと一生返せない」ような気がしてまだ見てないのに返しに行った。仕事も「今日やらないとダメ」なような気がして、朝方までかかって終わらせた。眠くて体がだるいのに、やっぱりほとんど眠れない。

5月9日、ウトウトするだけで朝になる。5時半頃に目が覚めてトイレに降りると「おしるし」があった。と思ったら、急にお腹がギューー。ギューー。って規則的に痛くていよいよ陣痛が?!もうこの時の喜びといったら天にも登るくらい嬉しかった!あー、これで今までの不安な日々から、体がだるい日々から解放される〜!!って心の中でガッツポーズ。知らぬが仏とはまさにこういうこと!

 

   そしてまたまた入院編。

病院に行くと、いきなり内診して「陣痛止めるよ!」って。思わず「えーーーーーーー!!」と
ガッカリ丸出しで叫んだら「まだ予定日まで1ヶ月も早いでしょう?!36週だったらまだ正産期じゃないんだから生めないよ!」ってめちゃくちゃ怒られちゃいました。ショボ〜ン。
そしていきなりウテメリン24時間点滴の入院生活。最低でも1週間はもたせましょうとのこと。ショボ〜ン。
このウテメリン点滴がきつくてきつくて、動悸息切れの嵐。手が震えるし息が苦しいし、もう止めてくださーいって思ってるのに、看護婦さんが何度もやってきて「もうちょっとレベル上げましょうね〜。そのうち慣れますからね♪」って笑顔ですごい事してくれます。同時に私の中のストレスレベルもいっぱいになっちゃって、これぞほんとに限界。神経性頻尿がすごくて3分に1回トイレに行く状態。トイレがこれまた遠くって、戻ってきてはまたトイレまで歩いて、また戻るまで歩いて、結局安静にならなくてどうにもならない。看護婦さんも心配して「これじゃ安静にならないね」と困った様子。

私もトイレ往復にくたびれて、ウテメリンにもグッタリきて、本当に心神喪失状態。真夜中に耐えられなくなって、泣きながら看護婦さんに「トイレに行かなくてもいいように管入れて下さい」と頼み込んで入れてもらうけど、途中で激痛と残尿管が続いて「やっぱり止めてくださーーい」と泣いてかなり迷惑極まりない患者と化す。看護婦さん、ご迷惑をかけてすみませんでした。そしてまたまた眠れない。もう4日もロクに寝てなくて失神寸前なのに眠れない…。

そして迎えた5月10日。
ウテメリンにも少し慣れてきて、お向かいのベッドの二人目ママさんとも仲良くなって、何となく頑張ろうかなぁ…と思ってきた途端、 ドバーッと出血してびっくり。看護婦さんを呼んだら、あれよあれよと色んな人に内診されて、わたわたと下の診察室に連れて行かれる。お腹がちょっぴり痛くて、お腹壊しちゃったかしらと思いながら歩いていた。診察の結果、破水しちゃったからこのまま生みましょう!とのこと。「はいーーー!!」と元気よく返事して、またまた心の中でガッツポーズ♪お腹が痛いのは陣痛が始まっていたとのことでした。そしていよいよやって来たXデー!!

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